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完全に弱音。

自分勝手に期待して、自分勝手にがっかりして、
素直な言葉がなぜか出てこなくて、だまってしまうか、ろくでもないことを口に出して後悔する。

もうそろそろ学習したほうがいい。

あの場に自分は邪魔なんだと。
居れば空気が重たいだけだと。

浮かんでるのはつまらない自分の所為。


楽しみになんかしてると、痛いめにあうんだ。
何度こんな感情を抱いただろう。
対、生身の人間のはずなのに、この一線で全部を諦めた感じがとても理不尽で。

…なぜ?たぶんこれも自分に問題があるからなんだろう。

自分から楽しさを求めて行ったはずなのにね。毎回。
勇気を出しても、居るだけ。
中途半端すぎて余計に寂しくなるだけ。
参加もしないくせに居るだけじゃ意味なんてまるでないのにね。

正直、なんか、喋るのが怖い。
いつもここに居ていいのか、戸惑う。
もう、行かないほうがいいんだろか。

好きだもんで往生際が悪いよ。

残念、寝よう。
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生きる気満々の人たちのために。

※以下。めんどくさいテンションの文章になるんで。あしからず。

反対語。
両者が直線状につながっているものが、いくつかある中で。

入/出

アクションをすればどちらかに傾き、それが切り替わるボーダーラインがあるもの。
行ったり来たりできるもの。

生/死

これに関しては、反対というより、明確にボーダーを超え、完全に直線の原因→結果だ。

物質的な話。
元素的な話。
地球上で、ただ物質が循環しているだけの出来事が、「生死」ならば。
それは直線ではなくて、ループ状なのかもしれない。

偶然完成した構成で生まれてきたのが「誕生」
形をとどめようとするのが「生命維持活動」
形を維持できなくなった時点が「死」

なぜ、生命はこんなに多種多様に生まれて、保てる限りそれを維持しようとするのだろう。
意思とか目的とかまで、さらにその中で組み合わせて生んだりして。
大きな謎すぎて深く考えようもない。


死んだあと、人間はどんな姿になってゆくのか、知らなかったし
考えたこともなかったし、実際にそのような状態を見たこともない。

生々しい話、死んだあとの体は、どんどん形を保てなくなってゆくらしい。

「もはや人ではなくなったもの」にだんだんなってゆくのだから、もっともか。
それでも、崩れてゆく様が見た目に恐ろしいのは、「自己の死」に抵抗するために組み込まれた本能なのだろうか?

ともかく。

つまり生きているということは、それだけで「死を遠ざけようとしている状態」で。
それ以上に生産活動をしている人達は、積極的に生きてる人ってことになるのだろう。
さらに維持しなければならないものが、自分の命以外にもあるなら、「だいぶ積極的に生きてる人」になる。

つまり、自分は、「だいぶ積極的に生きようとしている人達」を基本、相手にして生きているわけだ。
明日も、さらにその先も長いこと、生きる気が満々の人たち。

そういう誰かさんのお手伝いをしているつもりです。
そしてそういう誰かさんに自分もお手伝いしてもらっているのでしょう。

ばらばらになってしまう前にやりたいことがまだまだあると思えている。

眠い…(´ω`)んごご。 おつかりさまでした。

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